学校は社会の縮図だといいます。学校で起こっていることは社会のなかにもあると。だから、子どもたちが通う学校を、明るく住みよいものにするためには、まずは社会が変わるべきだという考え方です。まったくもってその通りです。これを引っくり返せば、社会は変わりようがないので学校も変わりようがないともいえます。平和でもなく、公平でもない、掃き溜めにとどろく人間の業が、渦巻くのが社会です。学校もしかりで。子どもたちは丸腰でやってきて学校でいろんなめに遭います。いろんなめに遭っている人を目にします。だけど卒業して、...
続きを読む≫ 2014/06/18 14:25:05 メイン
どちらがどちら、というわけではなく。不登校問題も、「不登校」という言葉で定義した、制度である以上、社会のものです。そこから逃れようがないのもまた事実です。
不登校児は 30 日以上の長期欠席者を指し、全体の1〜2割が相当します。そのうちの3割ほどは自主退学するようです。不登校になった原因は、生徒本人に関わることと、学校運営上に関わることとの2種類に分けて考える必要がありそうですが、不登校問題は根深く、たとえば生徒本人に関わることと言っても、生徒本人の性格や、病気、生育環境なども、含まれるのは当然...
続きを読む≫ 2014/06/18 14:25:31 メイン
学校も社会のものである以上、不登校の原因となりうる学校運営上に関わることは、生徒本人の父兄のみならず、小さくは地域全体での問題定義と、取り組み、大きくは、国全体での調査や見直し、適切な制度改正などが求められます。不登校児は生徒本人に関わることに意識が向きがちで、生徒本人の父兄とともに、孤軍奮闘の末、学校から離れて社会人となる頃にも、そのまま引きずり、ひきこもりを続ける場合もあるようです。これがまた次の問題を引き起こす、新たな原因となります。
学校も社会のものである以上、生徒本人に関わることであっ...
続きを読む≫ 2014/06/18 14:25:56 メイン
こういった考え方は全体主義につながりそうですが、生徒本人に関わることとして不登校問題の原因のほとんどを預けてしまうことは、基本的人権の側からして矛盾が生じます。たとえば、日本国籍のない児童の場合はどうなるのか。基本的人権とは国が定める枠内でのことなのか、それとも、より大きな人道的立場でのそれなのか。国全体での調査や見直し、適切な制度改正が求められます。
不登校問題は、多種多様で複雑な要因が絡まり合い、生徒本人やその父兄、あるいは学校運営上のことなどでは、対応しきれないのが現実ではないでしょうか。...
続きを読む≫ 2014/06/18 14:26:18 メイン